先日、『翼をください(上・下)』(原田マハ)という小説を読みました。
知人からの紹介で知ったこの本。
おそらく史実にもとづいているのだろうと思いながら、あえて前情報をなにも調べずに読みました。
主な登場人物は、カメラマンのヤマジュンとパイロットのエイミー。
最後まで読んで、この航空機での世界一周が事実であったことを知り、驚愕しています。
このようなことを初めて知りました。
ニッポン号(にっぽんごう)は、第二次世界大戦前期における日本の民間航空機。1939年(昭和14年)に日本製の航空機で初めて四大陸と二大洋を連続周航した。機体記号は「J-BACI」
~(中略)~
ニッポン号は1939年(昭和14年)8月26日午前10時27分に東京市蒲田区(現 東京都大田区)の羽田飛行場(現 東京国際空港)を離陸し、東回りで太平洋→北米大陸→南米大陸→大西洋→アフリカ大陸→ユーラシア大陸のルートで巡り、55日後の10月20日に帰国した。
総飛行距離52,886 km(52,860 kmとも)。羽田から千歳まで約3時間、千歳から北太平洋を渡り、アラスカまでの4,340kmを15時間48分で飛行した。
Wikipediaより
1939年8月に飛び立ったニッポン号。
三菱重工業の戦闘機「九六式陸上攻撃機」を改造したものということです。
機長をはじめとして7名の乗組員がいるのですが、この小説では8名目の乗組員も登場しています。
俄然興味が出て、いろいろと調べていると映像も残っていました。
NHKで観ることができます。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009060046_00000
これを観るだけでも小説を読んだあとだからか、グッと来るものがあります。
どれだけ歓迎されていたか、国民の期待を胸に飛んでいたかがわかる映像です。
皮肉にも、飛行中にドイツがポーランド侵攻したことで第二次世界大戦が勃発。
コース変更を余儀なくされるようです。
飛行後は、「暁星(ぎょうせい)」と改名したらしいのですが、小説をお読みの方であれば、この名前にお気づきになるでしょう。
残念ながら、その後は日本も戦争へと突入し、世界一周を果たしたニッポン号は、終戦後にGHQに接収され、破棄されたといいます。(諸説あるようです)
当時の日本の航空技術力の高さ、勇猛さがわかる出来事ではないかと思います。
毎日新聞社の本社には記念碑があるそうです。いつか行ってみたいです。